人権インタビュー

舞台から広がる心の交流
かのうれいこさん
 バックナンバーはこちら

今回は、「通天閣の歌姫」として、人情あふれるステージを展開されている歌手の叶麗子さんに、ときに切々と、ときに明るく語っていただきました。

最後の舞台が本当の意味での出発に
  私の歌手生活は、最初、鳴かず飛ばずで、華やかな芸能界のイメージとはほど遠く、家賃も払えないばかりか、電気もガスも止められたほどだったのです。そして、忘れもしない1988(昭和63)年2月13日、私は、最後になるはずのステージに立っていました。歌手生活にピリオドを打つ私への、最後のはなむけに用意された晴れ舞台でした。
ところが、客席はガラガラ、しかも舞台に目を向けてくれるお客さんの数はまばらでした。お客さんの多くはお酒をあおり、イヤホンで競馬中継の世界にひたっている。普通はそんな場合落ち込むかもしれませんが、逆に「私は歌手廃業を目の前にして、どん底の状態にいる。ああ、みんな私と一緒やな…」「そうや!つらい思いをしているのは私だけやない」と、少し救われたような気持ちにもなりました。
「よーし!いいことなかった歌手生活の最後に、持てる力のすべてをふりしぼって歌ってみよう」と不思議な気力がわいてきて、無我夢中で歌いました。
舞台で学んだ心の持ち方 -歌で心がつながる
 やがて歌い終えて、深々とおじぎする私の前に、作業服姿のおっちゃんが近づいてきて、「あんた…叶麗子いうんか。あんたの歌ほんまによかったで…」と言うんです。
私は、歌手になって初めてほめられて、びっくりしました。そして、おっちゃんは、ズボンのポケットに手を突っ込んだかと思うと、その手で私の手を握ってくれました。何か私の手に触れるものがある。それは、しわくちゃに折りたたんだ1000円札でした。なけなしの1000円かもしれない。そう思うと、心にずしんときました。なぜなら、そのお金は、わたしがお客さんから初めていただいたご祝儀でもあったからです。
歌手をやめる覚悟でしたが、「一生懸命に歌えばお客さんに伝わるんだ。お客さんとつながるんだ」と光が見えた気がして、もう一度舞台に立ちたいと思いました。
その日から、「何でも自分の心の持ち方ひとつ。『自分の心が変われば人生は変わる…』。もういっぺん、やるだけやってみよう」と誓い、せいいっぱい自分の気持ちを客席にぶつけるように歌を歌いつづけました。
やがて、そのステージが「熱狂的」という評判をよび、徐々に立ち見が出るようになりました。
「出会い」はすばらしく、大切なもの
 しわくちゃの1000円札のご祝儀をくださったおっちゃんとは、その後、お会いしていません。ただ、あの舞台から6年後、一通のお便りをいただきました。私が新聞のインタビューの中で、その方のことを話した記事を目にしてくださったのです。
おっちゃんは、その当時、とても苦しい生活を送っていたそうです。でも、私のなりふりかまわぬ歌を聴いて、「これではあかん」と強い思いに駆られ、それから懸命に働いて、今は「小さいながらも家を一軒建て、幸せに暮らしています」と書かれていました。
何度も読み返しながら、ほんとうにうれしかった。おっちゃんの「今」に、わたしの歌がわずかながらでも関わったことも、信じられない思いでいっぱいでした。「出会い」はすばらしく、また大切なものだとつくづく感じました。
ふれあいの中から見つけた 「命の尊さ」
 「通天閣歌謡劇場」では、今までたくさんの人との出会いがありました。その中に、生きることに希望を失い、自分の死に場所を探していた方が、「歌謡ショー」の看板に引かれ、最後に好きな演歌を聴こうと、たまたま私のステージにいらっしゃったことがありました。「こんなに若いのに一生懸命に歌っとる。わし、自分が恥ずかしかった…」。後で、その方が自殺を思いとどまってくれた経緯を知って、私は言葉も出ませんでした。
私は最近、「命の尊さ」をひしひしと感じています。私の歌を聴いてくださる方の職業はさまざまですが、睡眠時間を削ってトラックを運転されている方も、命綱もなしに高いところでビル工事のお仕事をされている方もおられます。皆さん命をかけて働いています。そのお金で聴きに来てくださるからには、「こちらも命を削って歌わしてもらわんと罰があたる」って思うんです。
今、私が歌わせていただいている「心」の歌詞の中に「命のあるものには、すべて心があって、なみだを流す」とあります。きっと、鳥や草花もそうなんじゃないでしょうか。だから私も、歌で通じ合うために、いつも命がけで歌っています。
私の舞台は「一期一会」
 私は自分は「歌手」ではなく、「芸人」だと思っています。舞台は「一期一会」、私はいつも今日が最後の舞台だと思って歌っています。
通天閣の舞台には、連帯感のような独特の雰囲気があるんです。毎回、歌い終えた後、出口で一人ひとりのお客さんにお礼をいいます。出会えたことを心から感謝して、握手をしながら、「今日は、来てくださってありがとう。またお会いしましょう」と見送ります。
だから、お客さんのことはよくわかります。私も、どん底の経験をしたことがあるので、大きな不安や悲しみをもっている方のことは、特によくわかるつもりです。そんな人が何度も足を運んでくださるので、私もますます懸命に歌います。

多くの人が共感し、支えあって 明日を生きる力が生まれる
 私がお客さんの気持ちを感じながら歌っていることが、伝わるんでしょうか。そんな私の姿に共感してくれる人がたくさんいてくれます。「気持ちが救われる。だから、また来る。応援する」って言ってくれる人が多いんです。そして、私もその声を聴いて、しんどいことも乗り越えていける。つまり、心の深いところで支えあっているんです。
私にとって、舞台はただのステージじゃなくって、お客さんと心のやりとりができるところです。そんな舞台をつづけていけるよう、真正面から私の歌を聴いてもらうことが、私の生きがいです。
ホームグランドはいつまでも 「通天閣歌謡劇場」
 私をどん底の歌手生活から救って、育ててくれたのはこの「通天閣のまち」、そして、人情が厚いこのまちの人たちです。
これからもこの「通天閣のまち」で、歌いつづけたい。全国どこを回ってもここに帰ってきたい。私の歌手人生の原点、ホームグランドはいつまでも「通天閣歌謡劇場」ですから…。

インタビューを終えて

「人権尊重のまちづくり」と聞くと、何かとても難しいことと感じる人が多いかもしれません。しかし、その基本は、それぞれの地域で人と人が「出会い、ふれあい、支えあう」ということです。
「出会い、ふれあい、支えあう」・・・そのことを可能にするためには、心と心をかよわせ、交流することがとても大切です。叶さんのお話しをうかがって、率直な気持ちのやりとりこそが、心の交流や人のつながりのために大切なのだと感じました。
  (2003年3月発行 そうぞう)
叶 麗子さん

歌手。「通天閣歌謡劇場」をホームグランドに、全国で熱狂的なステージを展開して活躍。NHK(日本放送協会)朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」の“オーロラ輝子”の実在モデルとしても人気を集めた。

 バックナンバーはこちら

かのうれいこさんプロフィール